2017年03月11日
その155A あれから6年!東日本大震災!
★2011年3月11日・・・東日本大震災!あれから6年・・・
2012年6月~「定年退職バイク日本一周一人旅」で訪れた震災地域の思い出を今一度ブログアップした!

今日、「大川小学校の児童避難死亡についての裁判」ニュースがあった・・・確かに此処には108名が学園生活をしていた。しかし、74名が帰らぬ人となった。
その校庭から20m近くには小高い森がある、「どうしてそこへ避難させなかったんだ!」という後悔が保護者に渦巻いていた・・・結果論である。私が、その場にいたらどのような避難指導を児童達へできただろうか・・・複雑な思いで裁判報告を聞いた。
亡くなった子供達そして、生き延びて当時の運命を背負った方々への気持ちも込めて深く祈った。

★その後、北上し南三陸町へ着くと雨模様の中、この地にある「南三陸町防災対策庁舎」を訪れた。そこで防災放送担当者で、その職務を全うし亡くなった「遠藤未希さん」の御霊前に私の友人が作曲したCDを献納させていただいた。彼女の悲運を歌った「無情の嵐」という曲である。
気仙沼港には大型魚船が海岸から500mも陸上に押し上げられていた・・・(遺族の要望で今は解体され、もうそこにはその姿はない)
★あれから6年・・・「死者15.893人!」「行方不明者2.553人!」今現在でも避難生活者が「12万3千人余!」
★震災は忘れた頃にやってくる・・・!自戒の念を込めて今一度考える機会としたい・・・今日の14:46分には黙祷を捧げよう・・・
2012年6月~「定年退職バイク日本一周一人旅」で訪れた震災地域の思い出を今一度ブログアップした!
今日、「大川小学校の児童避難死亡についての裁判」ニュースがあった・・・確かに此処には108名が学園生活をしていた。しかし、74名が帰らぬ人となった。
その校庭から20m近くには小高い森がある、「どうしてそこへ避難させなかったんだ!」という後悔が保護者に渦巻いていた・・・結果論である。私が、その場にいたらどのような避難指導を児童達へできただろうか・・・複雑な思いで裁判報告を聞いた。
亡くなった子供達そして、生き延びて当時の運命を背負った方々への気持ちも込めて深く祈った。
★その後、北上し南三陸町へ着くと雨模様の中、この地にある「南三陸町防災対策庁舎」を訪れた。そこで防災放送担当者で、その職務を全うし亡くなった「遠藤未希さん」の御霊前に私の友人が作曲したCDを献納させていただいた。彼女の悲運を歌った「無情の嵐」という曲である。
★あれから6年・・・「死者15.893人!」「行方不明者2.553人!」今現在でも避難生活者が「12万3千人余!」
★震災は忘れた頃にやってくる・・・!自戒の念を込めて今一度考える機会としたい・・・今日の14:46分には黙祷を捧げよう・・・
Posted by ほくろ山下清 at 09:32│Comments(0)