2019年03月22日

その286A 平和と人権の旅Vol7(最終回)

★台湾・平和と人権の旅(最終回)
2月27日(水)~3月2日(土)3泊4日の台湾の旅を終えて感想と雑感を述べる。
その286A 平和と人権の旅Vol7(最終回)
★台湾は約25年前の12月冬休みに、寝袋を持参しての一人旅をした。その頃は治安や衛生面においてあまり良くなかった。
 桃園空港から台北駅について早々に荷物から目を離した隙にドロボーにあった!幸いに?盗まれたのは当時、高雄日本人学校の校長先生へのお土産「泡盛一升瓶2本」だったが!・・・また歩道は「ビンロウ」という嗜好品の赤い唾液で汚れて、トイレ環境も良くなかった!しかし、台湾原住民の心はとても温かかった!

★それは、ある日、道に迷った時に「あの~すみません!」と一言声をかけた時、ご老人が「日本からですか!」との問いに私は「琉球からです!」と答えるとご老人は笑顔で「お茶でものんで!」とか「お酒でも飲んで!」と親切にして下さった。私はあまりの親切に何か恩返しをしようと思い、胸ポケットにある笛で「日本の歌」を演奏した!すると、ご老人ご夫妻は直立不動で涙を流しながら聴きいっていた!・・・今日はどちらへお泊まりに!の問いに私は、適当に野宿しながらの旅です!と答えると、ご老人は「今日は、ぜひ我が家に泊まって下さい!そして、日本の音楽をもっと聴かせて下さい・・・」との事。私は喜んでその夜はご馳走をいただきお世話になった。
 その後、いろんな日本音楽をリコーダーで演奏した!すると、山奥の谷間に響く笛の音に音楽を聴きたい人々が集まって来た!いよいよご老人の家に入らなくて、野外コンサート(?)になった!月夜の12月年末の夜だった・・・ご老人からお別れに伝統の品の「トンボ玉」(写真参照)をいただいた!いまでも大切にしている(今回の旅にも「トンボ玉」を持参した)・・・集まったご老人の皆さんの年齢を考えると、「日本の歌」は当時の台湾植民地支配50年の頃を思い出していたのかなと思った・・・
その286A 平和と人権の旅Vol7(最終回)

★この25年前の旅は台湾の民族音楽の収集と「阿里山(日本名の新高山)」で「初日の出」を拝む事だったが、あらゆるところで当時の台湾植民地支配50年の足跡が感じられた。
 山奥の学校でひなたぼっこしているご老人は、私が日本人と知るや「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト・・・」教育勅語をそらんじはじめた!つづきを言いなさいと私に言われたが、「わかりません!」というと、ひどく怒られた・・・

★このような25年余前の思い出にひたりながらの「台湾・平和と人権の旅」だったが、その後25年後の今日の台湾はすさまじい発展であった!

 あらゆるインフラの充実!衛生面の充実!電線の地中埋設型!バス専用レーンによるスムーズな交通インフラ!交通信号機が「カウントダウン式」は我が日本でも是非取り入れてほしいものだ!と

★なにより感激したのは、過去の負の歴史を大切に残し、未来への証言として政府をあげて啓蒙している事はとても感激した。

★今回の、このようなツアーを企画なさった「青山恵昭氏」と東亜旅行社の「林社長」に心より感謝致します!有難うございました!お疲れ様でした!

★最後に「行天宮台北本宮」の「五倫八徳」の教えにて、今後の沖縄の平安泰平を祈った・・・どうか沖縄から米軍基地が無くなりますように!・・・と!




Posted by ほくろ山下清 at 23:55│Comments(0)
 
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